預言者ピッピ / 地下沢中也
物語のあらすじ
〜省略〜
この記事のあらすじ
考えがまとまらず
漫画の内容の機能を
はっきりと把握出来ず
わけわからん
になってますが
そのまま書いてあります。
時々修正しようと思う・・・
さて、なかなかに面白い漫画です。
絶賛もしたくなる、と言うこともありますが
1巻においてそれだけの期待感はあった
さらに2巻においても面白いのだけど
1巻ほどの期待感はなく不安を覚えた
それはなにか?
例えば、「本当に完結するのか?」
と言う疑問があるとして
それはどういう意味になるでしょうか?
自分は1巻が発売された時点で
まさか2巻が出るとすら思ってなかったので
ここに来て3巻を期待していいものか?
と言う意味合いもありますが
それは瑣末な疑念です。
この漫画において語られる内容が
あまりにも壮大にそして細かい
SFと言って良いと思いますが
1巻の時点ではね
ただし、2巻において大きな謎の出現し
「ゲルタ現象」や真田の件の顛末に係る事など
その謎がSF的解決を見るかは問題になると思います。
設定をどの様に解釈するかってのが
まず難しいのだけどねぇ
いくつか自分の思う
論点を挙げたいと思います。
SF的解決を期待する部分
空想科学的な論点を
ピッピの機能をして
まるで「ラプラスの悪魔」であると
物語上でも語られるわけですが
ラプラスの魔は定義として
世界に干渉する事を想定していない。
ピッピは干渉することができる
現段階で量子論的?な話は語られないが
現実的には
それを除いた情報をとにかく詰め込んだ時
果たしてどれほど正確な予測が可能か?
と言うのは分からないので
内容を批評するために持ち出す必要はないだろうが
さて、そこで計算に干渉できると言うのが問題である
もし本当にラプラスの魔に限りなく近づいていくとして
果たして自分の意思介入を含めた正確な計算は可能なのか?
例えば話を単純にするためピッピを
「十分な情報を持ち何でも確実に予測できる状態」
だと仮定する、その時
1.ピッピは
「ピッピ自身が行う任意の予測をピッピ自身の行動によって覆す方法を実行させる方法」
の計算をする。
2.ピッピはその実行をする。
果たしてそれは可能か?
十分な情報があれば
自分がしたもっとも起こり得る確正確な予測を覆す自らの行動を
予測することが出来る訳ですが、それを実行できるか?と言うと
予測が外れてしまうため実行はできないはず。
では「覆す方法を実行させる方法」を予測できるか?
十分な情報があれば予測できますが。
予測が外れるため「実行させる方法」は実行できません。
では「実行させる方法を実行させる方法」・・・
まぁそんなものは「ない」と言う答えをだすかも知れません
つまり正確な予測が出来るのならば
同時にピッピはその予測が成立する様に行動しなければならないし
するはずなのです。ですよね?
もしそうしないのであれば
そうしないことを計算し予測しなければいけない
つまり
ピッピはピッピ自身が
ピッピ自身の予測を当てるためのいかなる行動をしないことによって
任意の予測が成立しない
とするならば「任意の予測が成立しない」と言う予測が成立する寄与
成立に寄与する行動を取ることになる
だからなんやねん、いかんまとまらん・・・
またピッピは嘘をつけるのだろうか?
自我があるのだからつけるのだろうが
それには何らかの意図が介在し
ピッピには何らかの欲望、目的があるはずである
そして思想、迷いを持つのか
それを踏まえて
2巻においては「タミオ」が
ピッピと同精度の機能として独立する
さて果たして
自我を持ち計算に介入できる要素を持ち全てを正確に計算できる計算機
が、独立して二つあった場合どのようにして
それぞれの予測はどの様にして成立するか?
個人的にはそれが存在した時には
恐らく世界は確率的決定論的世界になるんだろうとは思うが・・・
また一方に不確定性等を内包する事によって
予測にどの様な差異が生まれるのか?
「全て」が計算できるはずならば予測不能な
謎の現象「ゲルダ現象」をどの様に理解し処理しなければならない
もちろん
人類科学の持つ全ての情報がピッピとタミオには提供されているが
それが情報の全てではないから全て正確に予測できるわけではない
しかし、かなり正確に計算できるらしいし
そもそも正体不明の謎の影響による
死亡を予測できているわけですから
それともたまたまだろうか?
ピッピは正確に計算すると言う行動理念を最優先するなら
自身の予測が成立に寄与する行動しか取れない
計算に誤りがあり過程において発見されたときには
その時点で再計算されたものに副う行動を取らねば成らない
う〜ん・・・
つまり?
なんだろうなぁゲルダ現象ってさ
結果は分かるけど過程はしらんってことでしょ
こんな計算てあるん?
ピッピは予測をどのように捉えてるのだろう
元となる情報から正確な計算はしているが
質感として人間的な直感的理解をしてるのだろうか?
それとも質感としてそうなる論理を正確に把握
計算過程をはっきりと把握できているのだろうか・・・
もし後者でないとしたら
計算過程を認識し得ることで予測結果が変わる場合
ピッピが計算過程を認識できないとこによってゲルダ現象が起こる
等と仮定すれば
ピッピは過程を認識することはできなくなる
それは認識可能性を計算できるのか?
哲学的論点もあるのだろう
そしてこちらがこの漫画に面白い要素として
大きな影響を与えると思うが
まるで神の様に振舞う正確に見える計算機を
人はどの様に捉えるか
また理想としてどう捉えるべきか
そこに差異が生まれたならば
どの様に克服するか・・・
この辺りが物語の重要に成り得る論点じゃないかなぁ
瑣末な問題を触れておきたい
何千万人の人類を救えるから正しい
そう思いながら科学研究に欲求を持って従事することは偽善的か?
これ個人的に気になったところだけど
真田の態度がどうもよくわからないなぁ
もしあれだけをピッピがいらない理由とするなら
記者もいらないんじゃない?
単純に社会の利益になるのなら
善と言っていいのではないだろうか?
まぁ功利主義なんでしょうから
もちろん議論の余地はあるのだろうけど
では果たして
何千万と言う人間の命を救える予測が可能になる事が
社会の利益に繋がるか?
これを語る上では一元的に利益を計算しなきゃいけないから
一元的に利益を集計できるか?ってまぁ無理なんじゃないかなぁ・・・
これはもう深くは語られそうに無い気がする
まぁ等々
SF的な面白さを感じられる論点は山ほどあるが
しかし、それら殆どが
面白さを感じるそれゆえに語り得る事が可能か?と言う
疑問と不安がある
そんな現在2巻までの感想であるか
正直書いてて
頭痛くなってくる
書きながらガッカリするくらい
ボクの知能ではなかなか「問題」を正確に捉えられないので
マジで・・・本当に・・・書いてみてビックリ・・・
多分気が向くたびに書き直すと思う・・・
是非ピッピに問題と物語の未来を計算してもらいたいところである。
- 2012/04/15(日) 23:58:46|
- 感想・少年・青年漫画
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
外天楼 / 石黒正数
まぁそりゃ絶賛もされるんじゃないですかね?
のっけから冷めた感じの物言いで登場した
俺○○(君のお母さんの名前を入れよう!)
さて、なんだか全く関係ない話をしながら
じらす様に、感想を書いていくわけですが
すごく面白い!
のだけど、それをただただ
ただただ単に、真っ直ぐストレートに表現してしまうのは
なんともまぁちゃうやろなぁ
そんな事、ないのかなぁ
と微妙な感情も渦巻くのです。
そんな感情を表現するべきかどうなんかなんて
つまりは煙に巻くような痛い態度なんですね。
漫画の解説をしてしまえば
瑣末な事さえネタばれが怖くなる
この漫画の内容においては先入観なしに
読んでもらいたい
そんな漫画です。
ただし、せっかくなら石黒先生の他の漫画を読んだ上で
読んでもらいたいとも思う
その外部的情報の文脈によって偏見を持った形で
是非読んでいただきたいと、これは個人的な思いです。
ということですから
オススメするにあたっては
内容に触れるか
と言うのは悩ましいところなのです。
なぜかここで急に意識高い感じになるとすれば
少なくとも「ブログ記事の価値を得たい」等と言う感情を持たずに
真にお勧めしたいと
ブログとして社会的文化的貢献したいと
そう思えば
内容は完全に伏せるのでしょう。
なんてことが、言えるかも知れません。
今の俺すごく格好いいです。
まぁ読まれなければ仕方ないのだけど
読んだ時の事を考えればね
自分がほぼ漫画の内容など気にせず
それは石黒正数フリークですから
もちろんそれは期待と、同時に
「まぁ毎度名作なわけもあるまい」
と言う舐めた姿勢で、読んで
まぁ見事裏切られたので
勝手にミスリード食らった感じだったのですが
話に繋がりはあるが一話完結が基本の石黒先生です。
それ町にしても、まぁアガ・・・
石黒先生の基本的なスタイルとしては
ミステリー好きなんやろなぁ
と、思います。
叙述トリック的ミスリードを多用するので
この外天楼も話を読みながら
そんな「らしいなぁ」
と言う感じに溢れていて
石黒先生の作品を知っていればいるほど
その全体的ミスリードに面白く嵌れるんじゃ無いかと思います。
なかなかね石黒先生の他の漫画は読んでるけど
これだけ読んでない、なんて人は先ず、いないのでしょうから
意味は無いのかもしれませんが
ほぼ内容に触れない
感想と相成りました。
まぁ最後に、自分はこう言う風にしてしまったのかぁ
等と思ってしまったこともありますんで
無論ネガティブな意味合いを多分に含んでいるわけではなく
良い意味も含まれますが
多少穿ったと言うか、引いた視点ではあるので
作者の意図とは恐らく違うのだろうとも思うわけで
必ずしも、他の漫画を読んでいなければ楽しめないと言う訳でないし
その方がより楽しめるのかも知れない
ただある種パロディ的な面白さを感じるためにも
何らかの知識や偏見を持って読むのを個人的にはオススメしたい。
- 2012/04/13(金) 21:34:20|
- 感想・少年・青年漫画
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
ゲゲゲの鬼太郎 少年マガジン/オリジナル版
著者 水木 しげる
さて
ゲゲゲの鬼太郎の説明はまず不要でしょう
そう言った意味で今読むのと当時読むのでは
きっと読んで感じるモノと言うのは当然に違うでしょう
当時の少年マガジン読者の鬼太郎の認知度だったり
時代背景を読み解けるほどの知識はないわけで
批評を書くには力不足ではあろうと思いますがね
なにか思うところもある
自分語り・・・
さて、貸本時代等もあるゲゲゲの鬼太郎ですが
こいつは少年マガジン掲載のものをまとめられたものです。
まず、この文庫本にあって
最初に設定集やエピソード解説等をまとめられた
「妖怪大作戦」があるものの
当時掲載は連載後いくらか過ぎてから
だった様で
本編、なんの説明も無く鬼太郎が活躍するのだが
と言うかまず最初の話しからして
鬼太郎の手だけが活躍すると言う
ずっと手だけ、手のみの状態を除くと
鬼太郎自身の登場なんと5コマだけである
最初がこれって大丈夫だったんだろうか?
なんて瑣末なことを考えながら
まず設定がテキトーだ
事後的な説明的復活を繰り返す鬼太郎は不死身である
何故なら鬼太郎の強い生命力勝つのだ
設定を生かした勝利の様なものは(あまり)ない
緻密な話と言う感じではなく
大雑把であるが
痛快である
しかし意外と鬼太郎が活躍しなかったりもする
結構簡単に負ける、けれども不死身だから心配は要らない
なかなか現代に鬼太郎を知らず読んで楽しめるものなのか?
とか悩んだりもするが
あいにく知っているわけでこれが案外と言うか
面白い
内容は悪い妖怪との戦いもあれば
日常のいたずら的エピソードだったり様々なので
なるほどと言った感じを受ける
何より面白いのは
会話劇なんだろうと思う
鬼太郎、目玉のおやじ、ねずみ男
この三人(?)が時折見せる会話と言うのは
なかなかにして面白い
一言で言ってキャラクターの魅力なのだろうが
鬼太郎はやさしい妖怪である
人が妖怪に苦しめられていれば
どこからともなくやって来て
助けてくれるという
明らかに怪しいが
うむ、怪しいものではないだろう
と受け入れてくれる辺り絶対罠だが罠ではなかった。
シリアスなシーンのはずも
どこかコミカルであり
泣ける展開もなければ
人生を教わることもない
そして読んだ感じ明らかに古い漫画であるけど
娯楽的で、まさに漫画の楽しさがあるんだろう
「漫画に必要なものって教養になるとか
緻密で完成度が高いとかじゃないよなと
押し付けがましくなく
ただここに面白いものがありますと
慎ましく淡々と提示され
深く考察などせず
ただなんとなしに読んで面白いと思える
痛快さは魅力的だ」
この常に新しい物の消費に追われる社会にあって
1960年代に描かれ2007年にまとめられたこの商品ではあるが
手にとって見るのもまた面白いのではないだろうか(・ω・)
とりあえず「」で閉じた部分を
萌え系4コマ漫画辺りに
当てはめたら、なんかそれっぽいので
結局何も言ってない気がする。
苦心の結果、結局俺に有効な感想など
到底書けるものではなかったのだ・・・
というところでこの記事は終わりにしたいと思う。
- 2012/04/11(水) 23:58:02|
- 感想・少年・青年漫画
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0